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Dec 07, 2005

エド・サリバンショーのブルーコメッツとバイオリンベース

このブログ、TVからの話題ばかりだが、今日もTVから。

ケーブルテレビを付けたらエド・サリバン・ショーが放映されていた。B00009XN5S タートルズの「ハッピー・トゥゲザー」から始まり、「シード・ラザー・ビー・ウィズ・ミー」。ジャグリングショーやゴルファーがフォームの解説登場の後、ダイアナ・ロス率いるシュープリームス「ラブ・チャイルド」「サムデイ・ウィール・ビー・トゥゲザー」、ミュージカル「ラ・マンチャの男」から2曲。そしていきなり「日本から来ました。ブルーコメッツ!」には一寸驚いた。あのGS、ジャッキー吉川とブルーコメッツだ。1曲目はアーアーというスキャットのみのインスト曲「越天楽」。井上忠夫はバッチリ七三分けでフルートを笙のように吹く。かなり雅楽を意識したアレンジ。2曲目の「ブルーシャトー」はキーボードの小田啓義の琴から始まる、同様にオリエンタルなアレンジのイントロ。ボーカルは、ベースの高橋健二、ギターの三原綱木と井上忠夫の3人で前半は英語。やや頼りない。ハーモニーも自信なさげ。しかし後半日本語になると急に元気を取り戻し声も大きくなった。この曲はもともep_data_16 と木の実ナナのために作られ、替え歌も子供たちの間で大流行。作曲は井上忠夫だが、童謡「月の砂漠」がモチーフになっている。

初回放送は、68年初期。ビートルズ(日本公演の時にはドリフターズとともに前座をした)はこの年ホワイトアルバムを発表、シングルではジョンの息子ジュリアン・レノンを歌ったとも、ポールの別れた婚約者ジェーン・アッシャーを歌ったともいわれる「ヘイ・ジュード」が全米No.177秒は当時EP盤では最長曲。長すぎて、ラジオではいつも途中でフェイドアウトされていた。サイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」(ダスティン・ホフマン主演映画「卒業」の挿入歌)や、国内では森山直太郎の母、森山良子のカバーでヒットしたポール・モep_data_17 ーリアの「恋は水色」もこの年全米No.1Queenのボーカリストとして先日来日した、ポール・ロジャースがフリーのボーカリストとしてデビューしたのもこの年だった。(なんと17!!)

ブルーコメッツは前年NHK紅白歌合戦に出場、レコード大賞獲得。  CBSコロムビアに所属し、海外進出を狙っていた。まず、ヨーロッパ向けのアルバムを2月に発売。アメリカ向けアルバムは12月に発売。このアルバムの中に、英語版ブルーシャトーは収録されている。エド・サリバンショーもやはりCBSのゴールデンタイム。コロムビア・ブロードキャスティング・システムの名の通り、日本もその頃はコロムビアレコードだった。このレコード会社の海外戦略でアメリカに乗り込んだのだが、番組のオーディションを受けねばならず、井上らメンバーはアメリカショービズ界の厳しさを知ったと後年語っている。結局、謡曲のようなアレンジの世界進出盤を出し、ヨーロッパ公演を行ったものの、断念。国内で美空ひばりと「真っ赤な太陽」をジョイントするなどGS優等生、歌謡曲一直線で突っ走るが72年には解散。井上忠夫も、大輔と改名し、ソロアーティスト、作曲家としても活躍するが、20005月自殺。武道館公演で前座の演奏を見たビートルズのメンバー(誰か不明)から、卓越したギタリストと賞賛された三原綱木はポップオーケストラ、ニューブリードにダン池田脱退後のバンマスとして加入。一時は郷ひろみのバックでギターを弾いていた。

Hofnercvern02 演奏ていて興味を持ったのは、タートルズ、ブルーコメッツが使用していたギターとベースが、共にバイオリン型だったこと。タートルズはビートルズのポール・マッカートニーが現在も使用し続けている、ドイツ、へフナー社製500/1。ベースはポールで有名なのでコピーモデルもよく見かけるが、ギターもあったのか(Hofner 459)。ベースは63年モデルのようだった。ブルーコメッツは、国産、ファーストマン・リバプールモデルというもの。最近復刻版が発売されているようだ。リバプールという名の通り、ポール・マッカートニーの故郷にあやかったものだろう。ギブソンやエピフォンのバイオリンスタイルベース(EB-1)も一時期見かけたが、最近はほとんど見かけなくなった。最近再結成した、クリームのプロデューサー、故フェリックス・パパラルディが使用していたのを思い出す。ビートルズファンに支えnews051205 られ、ヘフナー・ベースは今も多くの愛用者がいるが、小型で軽いが、決して使いやすい楽器ではない。ポールの影響力はすごい。当時国内でも、GSのライバル、スパイダースのベーシスト加藤充もヘフナー500/1ベースを愛用していた。

スパイダースといえば、かまやつひろしがギタリストの井上堯之とBS2フジの対談番組で、「当時、リーダーの田辺昭知(現タモリらが所属する芸能プロ:タナベエージェンシー社長)は、スパイダースが世界進出するには、「日本的」を基調に曲作りしていきたいという。それで、キンクスマンフレッドマンのコピーバンドではなく、自作自演で作り始めた。処女作「フリフリ」は東洋的3拍子。そして第2弾シングル「越天楽ゴー,ゴー/(B面は、トワイライトゾーン)」は笙、篳篥みたいなサウンドで黒田節まがいのメロディー。(雅楽「越天楽」は外人にはサイケに聞こえ余程受けが良かったらしい。)売り上げには結びつかなかったけど、後で友達になったエマーソン,レイクアンドパーマーのグレッグ・レイクに「おまえらのバンドすごいことやってるね。」って誉められたよ。ベンチャーズも誉めてたな。」共に世界進出めざしていた。坂本九の「スキヤキ」が全米No.1になったのだから、自分たちでも可能だと思っていた頃だった。でもこの対談で更に驚いたのは、かまやつひろしとグレッグ・レイクが友達だったということ。また、彼がほとんど日本国内では売れなかった曲を聞いていたこと。

エドサリバンショーには日本から他に、坂本九、ザ・ピーナッツ、歌手以外では数年前に亡くなった70年代のアイドル脚線美歌手、朱里エイコの実母、舞踏家 朱里みさをが出演した。番組は1948年~1971年まで続いた。その後全米進出を目指し、ピンクレディー、松田聖子、久保田利伸、宇多田ヒカル、、、、と乗り込んではみるが、未だ「スキヤキ」を超えることは出来ない。

やはり「和」「日本的」をメインにした喜多郎のような歌手が必要なのか。

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