Jan 29, 2006

Yes Lead Singer #2 Trevor Horn 25th anniversary TV 放映

 YesLead Singerといえば、忘れてならない人物がもう一人いる。今や世界的大プロデューサーとなった、Trevor Horn(本名 Trevor Charles Horn 1949715Durham City 56)だ。

tormatobkTormato   まず、Trevor HornYesに関わる経緯から。
  Yes 11
枚目のアルバム「TORMATO(イングランド南部ダートマー国立公園にある約2000フィートの岩山"YES TOR"と野菜のTOMATOを掛け合わせたタイトル。スティックを持った紳士、メンバーの背後にある岩山が"YES TOR"。その上に叩き付けられたトマトのジャケット。前作「Going for the one(究極)同様、Hipgnosisがデザインを担当)789月に発表された。全英8位、全米10位。アメリカではプラチナディスクを獲得し、83年「90125(ロンリーハート)」が発売されるまでのYesにとっては、過去最高の売り上げで(全米で100万枚以上)、バンドは順風満帆かと思えた。しかし、当時のミュージックシーンはBeeGeesの「Saturday Night Fever」に代表されるディスコミュージックとパンク、ニューウェイブ、テクノが全盛。全米ツアーは大盛況だったにもかかわらず、ヨーロッパ公演はほとんど行われなかった。「TORMATO」にはプロデューサーがおらず、当時無名のエンジニアを起用したので、メンバーは作品の完成度に満足していなかった。そこで、この失敗を避けるためQueenで大成功したプロデューサーRoy Thomas Bakerを迎えてパリに移り、7912枚目のレコーディングセッションを開始。Jon AndersonRick Wakemanと共同で作品を書き溜め、Chris SquireAlan Whiteはパンクロックに傾倒。スタジオの食事も不味く、数曲ベーシックトラックを取り終えたが、メンバーの関係は悪化。そんな折、クリスマス直前の12月、ドラムのAlan Whiteがローラースケートで転倒し、足首を骨折。(Yesのメンバーはアルバム制作中、よく足の怪我に見舞われる。「The Yes Album(3rd)」のジャケット中央で一人椅子に座り、足首に包帯を巻いているキーボードのTony Kaye。彼も701123日、移動中のワゴン車の交通事故で足を大怪我。)それが口実となり、レコーディングは延期が決定される。80年ロンドンに戻ってTown House Studioでレコーディングは再開されるが、Jonの作品はほとんど没。(Jon2ndAlbumSong of Seven(七つの詩)(80)」の"Everybody Loves You""Some are born"Rick Wakemanの「Rock'n Roll Prophet(79年レコーデング」)らは79年パリセッションの没曲をアレンジして使用したもの。その他、2004年に再発されたRhino盤「DramaBonus Track"Dancing Through Light""Golden Age""In the Tower""Friend of Friend"2002年発売の5枚組Box Set「In A Word収録の"Tango""Never done before"等は当時の没曲)JonRickに「パンクロックなんてやりたくない。」と打ち明け、二人はレコーディングに参加しなくなった。


buggles12brian_lane2  困ったChrisは、Brian Lane (YesVangelisBugglesのマネージャー、後のAsia,GTRの仕掛人)に相談したところ、(当時「Video killed a Radio Star (ラジオスターの悲劇)」で全英No.1を獲得していた)Buggles2(Trevor HornGeoffrey Downes -※近日来日予定!!)Yesの大ファンだったので、手伝ってもらうことになった。彼らは大変乗り気でレコーディングに参加したが、JonRickがいつまで経ってもスタジオに現れないdrama042drama082ことを不思議に思っていた。ゲスト参加したBugglesは、もともと自らの2ndアルバムのために用意していた楽曲を提供し (Into the Lens=I am a Camera)、正式にYesのメンバーに迎えられた。プロデューサーのRoy Thomas Bakerは途中で降板。結局Yes名義のプロデュースとなる。エンジニアは前半Eddie Offord (※EL&PTarkus」の7曲目"Are you ready Eddy?"は当時EL&Pのエンジニアだった彼を皮肉った曲。)、途中からHugh Padghumに交代。12th Album"Drama"は818日に発売。全米18位、全英2位。829日、カナダのトロントから始まった北米ツアーは、毎回1万人以上の会場がソールドアウトで(当時アルバム未収録の"Have We Really Got To Go Through This","We can fly from here"(Buggles12inchSgB)も演奏)大好評。しかし、11月から始まったヨーロッパツアーは会場の規模は23千人クラス。Trevorの声はJon Andersonにそっくりだったのだが、その容姿(牛乳瓶の底のような眼鏡)と、柔らかな物腰が観客やメディアに大不評。どの会場も野次とブーイングの嵐。ステージ恐怖症になってしまい、以降二度と舞台に上らなくなってしまった。Yesはこのツアーが原因でまたも解散。Bugglesの二人はスタジオに戻り、2ndアルバムの制作に戻るが、GeoffBrian Laneに誘われAsiaを結成し、途中で脱退。Trevorはこれ以降一人でスタジオに籠もり、アルバムを完成。塞翁が馬。大プロデューサーへの道を着々と歩み始める。

3852267 Wembley   プロデューサー活動25周年を迎え、トラウマから抜け出し、ミュージシャンTrevor Hornがとうとうステージに戻ってきた。20041111日、ロンドン近郊のWembley Arena(当日7000人弱収容)で行われた恒例のPrince's Trust。今回は題して"Produced by Trevor Horn "。チャールズ皇太子、カメラ夫人、ブレア首相夫妻もしっかりご来場。Trevorの柔らかい物腰で司会進行。1曲目はBuggles "Video killed a Radio Star"からスタート。あの悪夢から24年。3851808 3851812 Trevor  Bassを弾きながら人前で歌った。バックには勿論Geoffly Downes。そして、当時謎の人物だったBlues Woolyも登場。コーダ部、レコーディング時はProphet5Solinaあたりで出していたと思われるが、今回は生ストリングス。やはり生にはかなわない。続いて、"Living in the plastic age"Bugglesはこの2曲で終了。そして、次々門下 のアーティストが登場の後、第1部最後は、Yes!!!。メンバーはChris SquireSteve HoweAlan WhiteGeofflly DownesTrevor Rabin90125より"Cinema" "Owner of a Lonely Heart" やはりDramaからは選曲なし。 VocalはTrevor Rabin。流石にTrvor HornYesを歌うことには抵抗があったようだ。第1部終了後、30分の休憩。第2部には、あのロシアのtATuも口パクで登場。トリはFrankie Goes To Hollywood。但し、VocalHolly Johnsonではなく、この日のためにオーディションで選抜された、3851986 3851999 Ryan Molloyという28歳のアメリカ人。評判は意外に良かったようだ。
この日の登場者は以下の通り。
1 1)Buggles 2)Dollar 3)Grace Jones 4)Belle & Sebastian 5)ABC 6)Art Of Noise 7)PROPAGANDA 8)YES
2 1)Pet Shop Boys 2)Lisa Stansfield 3)tATu 4)SEAL 5) Frankie Goes To Hollywood

バックバンドはTrevor Horn (bass)Geoffly Downes (key)Steve Howe(guitar,2-5)AnneDudley (key)Alan White (drums,1-62-4)、Paul Robinson(drums)Lol Creme (ac guitar)Phil Palmer (ac guitar, bk vocal)Steve Lipson (el. guitar)Bruce Woolley (bk vocal)Tessa Niles  (bk vocal)Luis 3851987 3851991 Jardim (perc)...。とオーケストラ。

この日の様子は、DVDで発売予定だったが、契約問題でこじれているのか延期が続いている。今のところ3月21日発売予定(但しアメリカ盤のためRegion1、普通の国内DVD機では再生不可)国内盤未定。記念CDは発売中。但しこの日のLive盤ではない。

しかし!!!以前Mike Oldfieldも放映していたMusic Air NetworkでDVD発売前に、国内でも放映決定224()21:0023:30CATVデジタルか、Sky Perfect TVで試聴可能。洋楽ファン必見!!!!

38520023851984   このイベントで気をよくしたメンバーは、この日演奏しなかったDramaの曲で、"The More Drama Tour"を計画し、82日シアトルから公演開始予定だった。しかし前日81日にドタキャンを発表。メンバーはSteve Howe,Chris Squire,Alan White,Geoffly DownesChrisYes加入前に在籍していたバンド、Synを伴う予定だった。今後の予定は未定とのことだが、再現するなら、是非来日してもらいたい。Yesのファンには、111104flyer RelayerDrama90125以降を無視する輩が多いが、僕にとってはどれも愛聴盤だ。強いて上げれば、Union以降?かもしれない。
 ところで"The More Drama Tour"Vocalは誰だったのか?

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Dec 07, 2005

エド・サリバンショーのブルーコメッツとバイオリンベース

このブログ、TVからの話題ばかりだが、今日もTVから。

ケーブルテレビを付けたらエド・サリバン・ショーが放映されていた。B00009XN5S タートルズの「ハッピー・トゥゲザー」から始まり、「シード・ラザー・ビー・ウィズ・ミー」。ジャグリングショーやゴルファーがフォームの解説登場の後、ダイアナ・ロス率いるシュープリームス「ラブ・チャイルド」「サムデイ・ウィール・ビー・トゥゲザー」、ミュージカル「ラ・マンチャの男」から2曲。そしていきなり「日本から来ました。ブルーコメッツ!」には一寸驚いた。あのGS、ジャッキー吉川とブルーコメッツだ。1曲目はアーアーというスキャットのみのインスト曲「越天楽」。井上忠夫はバッチリ七三分けでフルートを笙のように吹く。かなり雅楽を意識したアレンジ。2曲目の「ブルーシャトー」はキーボードの小田啓義の琴から始まる、同様にオリエンタルなアレンジのイントロ。ボーカルは、ベースの高橋健二、ギターの三原綱木と井上忠夫の3人で前半は英語。やや頼りない。ハーモニーも自信なさげ。しかし後半日本語になると急に元気を取り戻し声も大きくなった。この曲はもともep_data_16 と木の実ナナのために作られ、替え歌も子供たちの間で大流行。作曲は井上忠夫だが、童謡「月の砂漠」がモチーフになっている。

初回放送は、68年初期。ビートルズ(日本公演の時にはドリフターズとともに前座をした)はこの年ホワイトアルバムを発表、シングルではジョンの息子ジュリアン・レノンを歌ったとも、ポールの別れた婚約者ジェーン・アッシャーを歌ったともいわれる「ヘイ・ジュード」が全米No.177秒は当時EP盤では最長曲。長すぎて、ラジオではいつも途中でフェイドアウトされていた。サイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」(ダスティン・ホフマン主演映画「卒業」の挿入歌)や、国内では森山直太郎の母、森山良子のカバーでヒットしたポール・モep_data_17 ーリアの「恋は水色」もこの年全米No.1Queenのボーカリストとして先日来日した、ポール・ロジャースがフリーのボーカリストとしてデビューしたのもこの年だった。(なんと17!!)

ブルーコメッツは前年NHK紅白歌合戦に出場、レコード大賞獲得。  CBSコロムビアに所属し、海外進出を狙っていた。まず、ヨーロッパ向けのアルバムを2月に発売。アメリカ向けアルバムは12月に発売。このアルバムの中に、英語版ブルーシャトーは収録されている。エド・サリバンショーもやはりCBSのゴールデンタイム。コロムビア・ブロードキャスティング・システムの名の通り、日本もその頃はコロムビアレコードだった。このレコード会社の海外戦略でアメリカに乗り込んだのだが、番組のオーディションを受けねばならず、井上らメンバーはアメリカショービズ界の厳しさを知ったと後年語っている。結局、謡曲のようなアレンジの世界進出盤を出し、ヨーロッパ公演を行ったものの、断念。国内で美空ひばりと「真っ赤な太陽」をジョイントするなどGS優等生、歌謡曲一直線で突っ走るが72年には解散。井上忠夫も、大輔と改名し、ソロアーティスト、作曲家としても活躍するが、20005月自殺。武道館公演で前座の演奏を見たビートルズのメンバー(誰か不明)から、卓越したギタリストと賞賛された三原綱木はポップオーケストラ、ニューブリードにダン池田脱退後のバンマスとして加入。一時は郷ひろみのバックでギターを弾いていた。

Hofnercvern02 演奏ていて興味を持ったのは、タートルズ、ブルーコメッツが使用していたギターとベースが、共にバイオリン型だったこと。タートルズはビートルズのポール・マッカートニーが現在も使用し続けている、ドイツ、へフナー社製500/1。ベースはポールで有名なのでコピーモデルもよく見かけるが、ギターもあったのか(Hofner 459)。ベースは63年モデルのようだった。ブルーコメッツは、国産、ファーストマン・リバプールモデルというもの。最近復刻版が発売されているようだ。リバプールという名の通り、ポール・マッカートニーの故郷にあやかったものだろう。ギブソンやエピフォンのバイオリンスタイルベース(EB-1)も一時期見かけたが、最近はほとんど見かけなくなった。最近再結成した、クリームのプロデューサー、故フェリックス・パパラルディが使用していたのを思い出す。ビートルズファンに支えnews051205 られ、ヘフナー・ベースは今も多くの愛用者がいるが、小型で軽いが、決して使いやすい楽器ではない。ポールの影響力はすごい。当時国内でも、GSのライバル、スパイダースのベーシスト加藤充もヘフナー500/1ベースを愛用していた。

スパイダースといえば、かまやつひろしがギタリストの井上堯之とBS2フジの対談番組で、「当時、リーダーの田辺昭知(現タモリらが所属する芸能プロ:タナベエージェンシー社長)は、スパイダースが世界進出するには、「日本的」を基調に曲作りしていきたいという。それで、キンクスマンフレッドマンのコピーバンドではなく、自作自演で作り始めた。処女作「フリフリ」は東洋的3拍子。そして第2弾シングル「越天楽ゴー,ゴー/(B面は、トワイライトゾーン)」は笙、篳篥みたいなサウンドで黒田節まがいのメロディー。(雅楽「越天楽」は外人にはサイケに聞こえ余程受けが良かったらしい。)売り上げには結びつかなかったけど、後で友達になったエマーソン,レイクアンドパーマーのグレッグ・レイクに「おまえらのバンドすごいことやってるね。」って誉められたよ。ベンチャーズも誉めてたな。」共に世界進出めざしていた。坂本九の「スキヤキ」が全米No.1になったのだから、自分たちでも可能だと思っていた頃だった。でもこの対談で更に驚いたのは、かまやつひろしとグレッグ・レイクが友達だったということ。また、彼がほとんど日本国内では売れなかった曲を聞いていたこと。

エドサリバンショーには日本から他に、坂本九、ザ・ピーナッツ、歌手以外では数年前に亡くなった70年代のアイドル脚線美歌手、朱里エイコの実母、舞踏家 朱里みさをが出演した。番組は1948年~1971年まで続いた。その後全米進出を目指し、ピンクレディー、松田聖子、久保田利伸、宇多田ヒカル、、、、と乗り込んではみるが、未だ「スキヤキ」を超えることは出来ない。

やはり「和」「日本的」をメインにした喜多郎のような歌手が必要なのか。

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